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バルーン電報の正しい知識

Sらが米国本土に向かう当日の朝、Iを交えてホテルで朝食をとりながらの最終的な話し合いが行われたが、結論めいたものはなかった。 そこでSはこう言った。
「断ってもいいですね」この言葉を言い残し、SとSはダラスへと飛び立った。 しかし、結論を出さないまま終わったハワイ会談が、結果としてS社との提携交渉で、「吉」と出た。

仮に交渉が決裂して日本に手ぶらで帰っても、Iから叱責されることはないことが大きかった。 不条理な条件で譲歩する必要がなくなり、強硬姿勢を貫けたのである。
提携交渉の現場は緊張感で一杯だった。 ことごとく両社の主張が対立し、お互いがテーブルを叩き、強い口調で相手の言い分について反論を繰り返した。
交渉は平行線をたどり、議論好きなSが何もしゃべらなくなってしまったこともあった。 暗礁に乗り上げる度に両社は別々の控室で協議した。
通訳を買って出たIの降旗は落としどころを探ろうと控室を行き来したが、両社の溝を埋めるのは並大抵のことではなかった。 ついにSが重い口を開いた。
「冗談ではない。 これでは交渉は決裂だ」。
こう言い残し、SやSらはホテルに引き上げた。 交渉初日は成果なく終わった。
ところが、翌301日はY堂側にとっていい方向で交渉が進み始めた。 徐々にS社がY堂側の主張を認めるようになり、合意に漕ぎ着けることができた。
合意内容は以下のようなものだった。 日本事業は合弁事業とせず、Y堂に委託する、出店地域は日本全土とする、出店数は81年までの8年間に1200店とする、ロイヤルティーは売上高の0.6%にする最も激しく議論が交わされたロイヤルティー収入の問題は、S社が1%、Y堂側が0.5%を主張し鋭く対立していたが、0.6%にすることで決着したのだ。

出店数やロイヤリティーの数字の部分は、S社が要求していた6割のところで折り合いをつけた。 Y堂がS社から日本における「S」の営業に関するライセンス契約を最終的に結んだのは、その年の11月30日。
Sが米国で「S」の看板を偶然見つけてから約2年が経過していた。 この間に変動相場制への移行に踏み切ったニクソンショック(71年8月)、中東戦争に端を発した第一次オイルショック(73年10月)が起き、日本は急激なインフレに見舞われた。
に対して、中小小売店保護を目的とした第一次大規模小売店舗法(大店法)が公布(73年10月)された。 日本で本格的なコンビニエンストアであるSが生まれるこの時期は、日本経済にとって大きな転換点だった。
そもそも、大型スーパーを展開するY堂が、小型店に位置づけられるコンビニ事業に乗り出すことにした背景には、スーパーを巡る環境の変化がある。

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